< 親への違和感→仲直りは生きてるうちに? >
今日はお盆。「両親は死んで、もういない」と私が言うと、
みんな「早いね」と言う。
そう、私の友達のほとんどがまだ御両親が健在なのを見ても、
私が親と他の人より少しばかり早く別れたのが分かる。
父、母、どちらも亡くなってるのは私だけ。
両親が生きていた時、私はずっと両親とそれなりに仲良く生きてきた。
・・・と思っていた。
そりゃあ、親も子供が複数いると、子供との相性が良い悪いはあるので、
母や父のお気に入りの子が誰かは分かっていたけど、
わたし的には「別にいいじゃん。私は父や母の一番でなくて良い。
それより親をなるべく悩ませないような位置にいよーかな」と
漠然とそんな思いで生きてきたように思う。
「親をなるべく悩ませないように生きよう」と思ってきた割には、
それなりに迷惑をかけたかも(笑)
そして、両親は一人が亡くなり、
もう一人が後を追うように続けて亡くなった。
亡くなった途端、私の心の中にフツフツと
「あの時、こう言われて傷付いたなー」
「あの時、こうされて嫌だったなー」という思いが湧いてきて、
どうしようもなくなった。
なんだろう。
親が生きている時は、そういう思いを
「私、大丈夫だもん、気にしてないもん」と、
心の奥底に封じ込めて良い子ぶってきたのかもしれない。
でも、両親がいなくなった途端に、
「実は傷付いていた」という本当の心が湧き出てきたのかな。
まさか死んでから気付くなんて、私って鈍感過ぎる!と苦笑いをした。
何かで読んだら「親に傷つけられた事があったら、
今すぐ親に【あの時、こう言われて傷付いたんだよ】と
言う事が一番の解決方法。そして、仲直りしなさい」と書いてあった。
・・・が、私の場合、もう親はいない。どうしよー。
不満も言えないし、
喧嘩もできない、
仲直りもできない。
仲直りしたかったなー。
「もう親もいないし過去の事だから、もういい。忘れよう」と思っても、また思い出す。
多分、私は親と喧嘩したり、親との関係が悪くなるのが嫌だったから、
自分の気持ちを封じ込めたんじゃないかな?
今日の天気のような嵐の家族だったので(笑)、
嵐が去るのをジッと待って何も起こさなかった自分。
私にも責任はある。
親への不満があるなら封じ込めずに、
生きてるうちに「あれ、傷付いた~!」と
正直に言えば良かった。
例え喧嘩しても言った方が良かったのに。
・・・と今は、思う。
でも、両親と私のこの経験を基に、
私は子供達に「ママに何か言いたい事があれば、いつでも言って」と言ったり、
何か問題があれば話し合うようにしたり、
子供達には極力平等主義で、
ひいきはしないように育ててきたつもりだけど、
これで良かったのかどうかは私には分からない。
親が死んでからじゃ遅い。
生きている間に、私も子供達とお互い不満を言って、
本音を言って、喧嘩して、仲直りしたい。
そう思うお盆の今日であった。
因みに、両親が死んで数年後、母の夢を見た。
母は私に満面の笑みをたたえながら、
右手を私の方に差し出し、
私と握手をしながら、
「あくしゅ~!仲直り~!」と言った。
あの夢の母が、単なる夢の中の幻の母ではなく、
死んだ本当の母であり、本当の母の気持ちだと信じている。
Thanks☆