【私の腕時計が】*青君 1才半~2才半位
おっとりさんの青君は、つかまり立ちも、ハイハイも、歩き出すのも早くなかった。
遅ればせながら歩き始め、ポツポツと少しずつ言葉が出るようになった頃。
ティッシュなんかの小さなゴミを青君に渡して、
「青君、コレ、ごみ箱にポイ!して来て~!」と言うと、
青君は意気揚々とごみ箱に捨てに行き、
「どんなもんだい!」という得意顔で私の所に戻って来る。
「青君、お手伝いした。えらーい!パチパチ!」と手を叩いて褒める。
・・・という儀式というか、遊びというか、
こんな事を毎日のようにしており、それが彼の日課だった。
ある日、私はお風呂に入る前に腕時計を外して、
いつものようにテーブルの上に置き、
青君をお風呂に入れた後、
着替えをしてあげて、
その後、私も着替えをして、
アレコレやって、やっとホッとして、
さてと・・・と、腕時計をしようと思ったら、
あら?私の腕時計がテーブルの上にありません。
すぐに探せば良かったのに、
子供が小さくて、
慣れない育児をする毎日で、
バタバタと忙しく生きていたあの頃の私なんで、
「私、いつもと違う所に置いたかかなー?ま、いいや、後でゆっくり探そう」と安易に考えた私。
安易過ぎる!
あとでよく考えてみれば、
その頃の私って、お風呂に入る時しか腕時計を外さない人。
寝る時も腕時計をして寝ていた(笑)
それだけ大事な私の必需品。
が!
その後、どんなに探しても、その腕時計が見つかる事はありませんでした。
勿論、今も。
独身時代から使っていたお気に入りの時計だったのに・・・。
さて、犯人は誰か?と考えると、
やっぱ「ゴミ箱ポイ!して来て~!」を意気揚々とやっていた青君かなー?というのが、今は有力候補。
が、もしも青君じゃなかったら、
申し訳ないこの上ないんだけどね。
小さな子供は好奇心旺盛のピキピキ探検隊。
褒められるのが大好きだし、
新しい事を覚えるのが楽しい。
大人が考えもつかない事を考えて何でも挑戦してみる。
それはすごーく大切な事だけど、
たまーに、
こういう値段の安くない物が被害に合うこともあるので、
ガッカリすることのないよう、
親は気を付けて欲しいかも。
おっとりさんの青君だけど、
故意に壊す気持ちはないんだけど、
結果的に壊されたりした物も多々ありました(笑)
大事な物は子供の手の届かない所に置く。
よく子供が言う「それ、貸して~」
こう言われても、
大事な物は絶対貸さない強い心も大事なんですよね、きっと。
Thanks☆
<妊娠中、私は階段から転げ落ちた>
妊娠したらヒールの低い靴をはく。
コレ、みんなが知ってること。
私もずっとペタンコの靴をはいていた。
ヒールは、ほぼ1cm位の。
ヒールと言えないようなペタンコ靴。
「ペタンコであれば安心」と思っていた自分。
でも、ヒール底面の素材が、プラスチックだったのがダメだった。
たまにあるじゃん。何故か、ヒールがプラスチックのやつが。
あとで気が付いたんだけど、まさにヒールはプラスチックのやつだった。
コレ、妊婦さんは絶対ダメ。
ゴムのを選ぶべし。
とても天気の良いある晴れた日、
妊娠5ケ月くらいだったかなー、
まだすごくお腹が出ていない頃なんだけど、
公園の階段の真ん中を一人で下りてて、
その階段、手すりのなくて、広~い階段だった。
手すりがなかったのなら、階段のはじの方を下りて、
壁的な所でも手で触って下りていたら、
また違ったのかもしれない。
「まだ5ケ月だから、身体の重心がそんなに前にいってないから、これ位の階段なら大丈夫!」と
勝手に思っていた自分もいた。
しかし、その階段はコンクリートの中に、
まあまあの大きさの石が散りばめられている階段だった。
表面は多少凸凹していた。
その階段の石と私のプラスチックのヒールがツルっと滑った。
5ケ月とは言え、身体の重心は前にいっているので、
ズル!っと滑って、私は階段をゴロゴロと落ちたと思う、多分。
パニックになってしまって、ちょっと確かな記憶がない。
「大丈夫ですか!」と声を掛けてくれた男性がいたが、
ゴロゴロと落ちた恥ずかしさで「大丈夫です」と立ち上がって歩いた。
その時の足の傷は、今もバカ肉が上がっていてクッキリ残っている。
それくらい、まあまあの傷を負うくらいの出来事だった。
お腹の赤ちゃんは、昨日までお腹の中で元気いっぱいに動いていたのに、
1~2日位動かなかったが、その後また元気に動き出してホッとした。
「ビックリしたよね。ごめんなさい」と謝りました。
途轍もない事にならなくて良かったけど、
非常に危なかった事件です。
5ヶ月は安定期で、つわりも終わり、
ママの身体もラクになった頃。
まだそんなにお腹も大きくなっていないので、
ちょっと無理もできちゃう時期。
これが私の油断を呼んだ。
スニーカーで行けば良かったのに、
8月の真夏で暑かったから、
ペタンコのサンダルをはいてしまいました。
因みに、プラスチックのヒールって、
値段が安い靴にも付いている時もあるけど、
意外に高い靴にも付いてる場合もあるので、要注意。
数年後、お出かけ用に、まあまあ良い靴を買ったら、
ヒールの底面がまたプラスチックだった。
歩いていて、やっぱ時々滑る感じがしたので、
ヒールだけ取り替えてもらいに行ったら、
修理してくれたおじさん曰く、
「プラスチックのヒールにすると、靴を作る工程が省けるからねー」と言っていた。
うーん。
お腹に赤ちゃんがいるママ、
小さな子を抱っこしてるママとパパ、
抱っこ紐を使っている時も含めて、
足元が見えにくいよね。
以下のことを注意すると良いかも。
・ペタンコ靴でも、ヒールはプラスチックでなく、ゴムの物を。
・石の階段は気を付けて。
・階段を下りる時は手すりにつかまって。
・雨の日のつるつるタイルの上を歩く時は気をつけて。
・階段を下りる時は、誰かにそばでサポートしてもらって。
・できれば、いつもスニーカーで。
・スニーカーの底面も削れて滑らないか、時々チェック。
ママ達は本当に身体を大事にしてね。
Thanks☆
<青君は話し始めるのがチョー遅かった>
【おっとりさん】は、しゃべり出すのが遅い。
【元気な子】は、しゃべり出すのは早い。
コレ、正しいかどうかは分からないけど、
うちの場合は、こうだった。
青君は男の子だというのに、赤ちゃんの時から大人しくて、
夜泣きは2週間で終わり、
感情はいつも安定、
予防注射でも泣かない、
お昼寝は3時間半寝てくれるので、この間に色々できる。
手が掛からない子だった。
夢子は赤ちゃんの時から元気で、
夜泣きした期間はチョー長いわ、
喜怒哀楽はハッキリしてるわ、
お昼寝の時間は短いわ、
元気いっぱい娘だった(汗)
夢子は女の子だからなのか、確実に言葉を覚えていった。
「さしすせそ」が「しゃ・し・しゅ・しぇ・しょ」になり、
「ざじずぜぞ」が「じゃ・じ・じゅ・じぇ・じょ」になって、
「象さん」が「じょーしゃん」、
「雑巾」が「じょーきん」になったりして、
めっちゃ笑ったが、言葉での心配はなかった。
しかし、青君はちっともしゃべり始めなかった。あれ?
私が言ってる事は分かってるもよう。
レスポンスがある。
やっとすこーし単語を覚えた頃、
私 「青君、コレ、おいしい?」
青君「おいし」
・・・これで会話が終了する。うーん。
ママは自分の子供が可愛いから心配なんだよね。
なのに、更に外野の目や言葉で傷付く。
特に、自分の親とかに言われると、ショック倍増。
私の育て方が悪いみたいなー。
母親の私が一番心配してるんだよー(笑)
そして、青君が幼稚園に入った。
お友達と遊んでいるうちに上手になるかな?と思ったけど、
相変わらずだった青君。どーしよ。
ある日、幼稚園の園庭で遊んでいた時、
あるママが青君に幼稚園のグループのことや遊び方などを聞いた。
正直、私は質問されるのが嫌だった。
「答えられなかったら嫌だな」とか、
「テストするつもりなのかな」とか考えてしまったからだ。
でも、青君は聞かれたことに普通に単語で答えていて、安堵した。
しかし、その後も少しずつ語彙を増やしながらも、
劇的にしゃべり出すことはなく、
小学校に入っても大人しい無口な子のままだったが、
ゆっくり、ゆっくりと成長していった。
小学校3年くらいから少しずつ男の子らしく活発になり、
普通に話すようになってきた。
が、他の子ほどは話さないまま。
おっとりさんを継続して成長していった。
そして、大きくなった今、
「どうしてあの時心配したんだろー」と思う。
ただ、今も【おっとりさん】であることには変わりはない。
但し、隠し持ってる負けず嫌いがあるけどね。
【おっとりさん】は、みんなの話を聞いていて、
みんなの行動をよく見ていて、
自分がしゃべらない分、考えてる(熟考型)、
その分、頑固で、言い出したら聞かないし、
こうと決めたら、まっしぐら。
【元気むすめ】の夢子は、みんなの話を聞くより先に、自分がしゃべり出し、
みんなの行動を見るより先に、自分が行動する(行動派)、
行動を起こして、激突して、迷いが生じる。
でも、また「これだ!」と思うとすぐに行動に移す実行派。
…と2人は両極端だった。
その後、夢子にとって、激突しての失敗も大事だったらしく、
今は慎重な部分、計画的な部分もプラスされた気がする。
やっぱり子供は失敗させた方が良いのかも。
みんな性格が違うから、その性格によって
早く話し始めたり、遅かったり、
早くあんよができたり、遅かったり、
スポーツが好きだったり、嫌いだったり、
みんな得意なものも違うし、苦手なものも違う。
人それぞれでいいんだよね。
他の子がどうであろうと、ウチの子はウチの子。
その性格に沿った生き方でいいのかな?って思う。
だって、世界中の人がオリンピック選手になれるわけじゃないもんなー。
世界中の人がオリンピック選手になったら、
社会が成り立たなくなるし(笑)
Thanks☆
<ママ~、いかがある~?> 夢子3~5才位
3~5才位って、育児はまだ大変な時期だけど、
やっと話が通じるようになって、
言葉は覚えたてだから、まあ、たどたどしくて、
間違った表現がポンポン出て来て、
面白い時期(笑)
ある日、夢子が「ママ~!いかがある~?」
ニコニコしていて、期待に胸を膨らませている感じ。
いかが? いかがって何?
私の頭の上には【?マーク】がポンポンポン!と飛び出ていた。
私 「夢ちゃんさー、いかがってなあに?」
夢子「いかがだよ~!いかが!いかが、欲しいの!」
私 「いかが欲しいのは分かった。でも、いかがって分かんないんだけど・・・」
夢子「いかがだよ~!いかが!」
さっきまで期待に胸を膨らませている表情だったのが、
雲行きがあやしくなってきた。
私「いかがねー・・・、私【いかが】なんて言葉、使った事ないんだけど・・・」としばらく考え込む。
夢子はどうやったらママに分かってもらえるかを考えたらしく、
「ママ、こっち来て」と収納扉の前に私を連れて行き、
扉を開けて、収納の中にある箱を指差して、
「コレじゃないの。いかが欲しいの」
その箱は、子供用のお菓子が入ってる箱。
私 「コレじゃない?!・・・あ!お菓子が欲しいんだね?」
夢子「そう!でも、コレじゃない。いかが!」
えー!でも、【いかが】って何なのか、わかんない(笑)
語彙力の少ない幼稚園児、恐るべし!
うちって、普段はお菓子をあげてなかったんだよね。
理由は、世の中の母達みんなが考える事と同じで、
- お菓子でお腹いっぱいになって、ご飯を食べなくなりそうだから。
- 栄養の偏りが心配だから。
- 虫歯になるから。
なので、お友達が遊びに来た時とか、何か例外の時でない限り、
お菓子はあげていなかった。
その不文律を子供も分かっているから、
普段は「お菓子、欲しい」と言われたことがない。
なのに夢子は今、「お菓子が欲しい」と言っている(笑)
いつもなら「お菓子所望」は、あえなく却下なのだが・・・、
私は「いかがって何だろう?」という興味が湧いてしまい、
面白くなってしまって、
「ま!今日は特別にお菓子を食べさせてもいいか!」と諦めて、
「さあて、いかがってお菓子はどんなお菓子なのか、聞き出さなくっちゃ(笑)」と、
私は夢子の謎解きにワクワクしてきた。
私 「えっと、それで、いかがってどんなお菓子?」
夢子「ママが【夢ちゃーん、いかが~?】ってお菓子」
私は、ここで爆笑した。
そういうことか!
いかがの正体がわかったぞ!
子供用のお菓子ではなく、
子供と一緒に大人も食べるような
チョットだけ良いお菓子のことだーー(笑)
ある日のこと、夢子のお友達とそのママが遊びに来ていて、
子供用と大人用のお菓子を別々に出したが、
みんなが帰った後、
大人用のお菓子で余ったのがあったので、
私が「夢ちゃーん!コレ、いかが~?今日は特別!」と言って、
チョットだけ良いお菓子をあげた。
だから「ママ、いかがある~?」となったのだ。
いかが=チョットだけ良い大人のお菓子ってこと。
なるほどね~!
謎解き終了!
子供用のお菓子は普段は食べない約束だから、
「子供用のお菓子が欲しいんじゃない!」と頑張ってたんだ(笑)
【いかが】なら貰える!と思ったわけ。
面白いなー、子供は。
正直、【いかが】なんて、何回も言ったわけじゃないし、
それに、そんなに良いお菓子でもないんだけどね(笑)
やっと【いかが】の正体が分かり、
私「夢ちゃん、今日だけ特別にママと二人で【いかが】食べよっか?」
夢子「うん、うん、食べよー!」と
二人でお菓子を食べたのであった。
夢子は【いかがある~?】なーんて、変な言い方を考えたお陰で、
無事にチョット良いお菓子をゲットしてニコニコだった。
子供って、ホントに面白い。チャンチャン。
Thanks☆
<幼稚園から帰って来るのが怖かった(笑) その1 > 青君&夢子3~5才位
「幼稚園に入ったらラクになる」
新米ママの頃、安易な私はそう考えていた。
確かに、ママは午前中or午後1~2時頃までは自由なんだけど、
こっちも家事やら色々あって暇じゃない。
つまり、幼稚園に入っても、
そんなにラクにならないんだよなー、実は・・・。
子供が幼稚園から帰って来るのが、結構怖かった。
「今日はお迎えに行った時、なんて言うだろう」って(笑)
怖い台詞はいっぱいあるんだけど、
まず、思い浮かぶのは、
幼稚園で子供同士で遊ぶ約束をして来るってヤツ。
例えば、約束してきたその子のお母さんはおろか、
お子さんさえも、よく分からない子との約束とか、まじパニック。
夢子が「〇〇ちゃんが来ていいよって言ってたよ」と言っても、
それをお母さんは承知の上なのか?ってことだよね。
逆に、「今日、◯◯ちゃんとウチで遊ぶことにした〜」というのもある(笑)
どちらも「おいおい~。私にも予定が~」ってなる(笑)
幼稚園児のアフター3は怖しい。
一応、子供には事情を言い聞かせて、
予防線は張ってるんだけどね。
お構いなしの幼稚園児(笑)
遊びたい盛りの子供だもんなー。
でも、今はコロナでそんな事もなかなかできないのかも?だから、
「今の子供達、可哀想だな」と思う反面、
「幼稚園で遊んで来たんだから、それで十分じゃない?」とも思うし(基本、私はこの考え)、
まあでも、子供同士で遊ぶ事はそれなりに大事だし、
ママ友との交流もそれなりに大切だから、
アフター3の遊びも大事とも言える。
う~ん・・・
どっちが良いのかは分からないけど、
バランスかなー。
どっちかに偏り過ぎないことかも。
ただ今思うと、
私が知らなかった色んなタイプのママ達が沢山いて、
しょっちゅうビックリしたり驚いたりしながら、
「こういう人も世の中にはいるんだね~」と
良い意味で社会勉強させてもらって、
その後の自分に役立ってる気がする。
逆に、私も「あのママ、宇宙人だよね」と言われてたかも?だけど(笑)
幼稚園の頃のママ達って、みんな自分の子供を守って、
なんとか無事に育てようと必死だった気がする。
あんなに真正面から人間模様を見れるのは、
あの頃しかなかったかも。
あと、そういう自分と異質な人達もいる中に身を置くと、
自分の立ち位置が「は~ん、自分ってこういう人なんだ~」とまれに分かったりするから、
すごい人間学習の勉強の場だったなーと思う。
でも、大変だった。
勿論、世の中の幼稚園児のママ達がみんなそうじゃないと思うけど、
少なくても私は、
平常心を頑張って保ってたわ~(笑)
幼稚園の頃の子供って、
「もう二度と来ないすごーく可愛い時期」なのに、
周りに振り回されていた部分があった自分、
時間が勿体なかったなーって思う。
子供はアッ!という間に大きくなっちゃうもん。
遊びもお付き合いも、何事もほどほどが良いのかも。
あと、恐れず断る強い心ね!(笑)
でもね、幼稚園生活を通して、子供も、私も、
視野が広がり成長したよ。
「なら、いいじゃない!」って話。 ね!
Thanks☆
< 親への違和感→仲直りは生きてるうちに? >
今日はお盆。「両親は死んで、もういない」と私が言うと、
みんな「早いね」と言う。
そう、私の友達のほとんどがまだ御両親が健在なのを見ても、
私が親と他の人より少しばかり早く別れたのが分かる。
父、母、どちらも亡くなってるのは私だけ。
両親が生きていた時、私はずっと両親とそれなりに仲良く生きてきた。
・・・と思っていた。
そりゃあ、親も子供が複数いると、子供との相性が良い悪いはあるので、
母や父のお気に入りの子が誰かは分かっていたけど、
わたし的には「別にいいじゃん。私は父や母の一番でなくて良い。
それより親をなるべく悩ませないような位置にいよーかな」と
漠然とそんな思いで生きてきたように思う。
「親をなるべく悩ませないように生きよう」と思ってきた割には、
それなりに迷惑をかけたかも(笑)
そして、両親は一人が亡くなり、
もう一人が後を追うように続けて亡くなった。
亡くなった途端、私の心の中にフツフツと
「あの時、こう言われて傷付いたなー」
「あの時、こうされて嫌だったなー」という思いが湧いてきて、
どうしようもなくなった。
なんだろう。
親が生きている時は、そういう思いを
「私、大丈夫だもん、気にしてないもん」と、
心の奥底に封じ込めて良い子ぶってきたのかもしれない。
でも、両親がいなくなった途端に、
「実は傷付いていた」という本当の心が湧き出てきたのかな。
まさか死んでから気付くなんて、私って鈍感過ぎる!と苦笑いをした。
何かで読んだら「親に傷つけられた事があったら、
今すぐ親に【あの時、こう言われて傷付いたんだよ】と
言う事が一番の解決方法。そして、仲直りしなさい」と書いてあった。
・・・が、私の場合、もう親はいない。どうしよー。
不満も言えないし、
喧嘩もできない、
仲直りもできない。
仲直りしたかったなー。
「もう親もいないし過去の事だから、もういい。忘れよう」と思っても、また思い出す。
多分、私は親と喧嘩したり、親との関係が悪くなるのが嫌だったから、
自分の気持ちを封じ込めたんじゃないかな?
今日の天気のような嵐の家族だったので(笑)、
嵐が去るのをジッと待って何も起こさなかった自分。
私にも責任はある。
親への不満があるなら封じ込めずに、
生きてるうちに「あれ、傷付いた~!」と
正直に言えば良かった。
例え喧嘩しても言った方が良かったのに。
・・・と今は、思う。
でも、両親と私のこの経験を基に、
私は子供達に「ママに何か言いたい事があれば、いつでも言って」と言ったり、
何か問題があれば話し合うようにしたり、
子供達には極力平等主義で、
ひいきはしないように育ててきたつもりだけど、
これで良かったのかどうかは私には分からない。
親が死んでからじゃ遅い。
生きている間に、私も子供達とお互い不満を言って、
本音を言って、喧嘩して、仲直りしたい。
そう思うお盆の今日であった。
因みに、両親が死んで数年後、母の夢を見た。
母は私に満面の笑みをたたえながら、
右手を私の方に差し出し、
私と握手をしながら、
「あくしゅ~!仲直り~!」と言った。
あの夢の母が、単なる夢の中の幻の母ではなく、
死んだ本当の母であり、本当の母の気持ちだと信じている。
Thanks☆
<夏祭りで青君が買ったもの> 青君3~4才
青君の幼稚園で親子の夏祭りのイベントがあった。
「子供は浴衣で来るように」とのお達し。
青君の浴衣、ちょっと丈が短くなりつつあるけど、ま、いっか。
浴衣と言ったら下駄だけど、下駄は持ってないから、ビーサン。
子供を自転車の前と後ろに乗せて3人乗りで幼稚園へGO!
夏祭りは盆踊りなどいろんなイベントが組まれている。
イベントの中に「楽しいショッピングタイム」ってのがあって、
園児が2回くらいお買い物ができる。
その様子を私は録画していた。
【一回目のお買い物】青君はカラーボールを買ってきた。
青君「これ、買ってきた~」
私 「あら、いいじゃん」
【二回目のお買い物】青君が何かを買ってきたが、小さくて何を買ったのか分からなかった。
私 「今度は何を買ってきたの~?」
青君「これー!」
青君が握っていた小さな手を広げると、赤いチューリップの形の髪飾り。
私 「えーーー!夢ちゃんに買って来てくれたのー?」
青君「うん!」・・・と頗るニコニコ。
こんな小さな子が自分の欲しい物を買わないで、夢ちゃんの為に髪飾りを買ってきてくれた。
この時、私は感動してカメラがグラグラ揺れたらしく、
あとでテレビで見たら、画面はブレブレ。
「えーーー!夢ちゃんに買って来てくれたのー?」という私の声しか聞こえなかった。
あの日から長い時が過ぎたけど、
夢子は、今でもたまーに、思い出してこう言う。
「青君が幼稚園の夏祭りで私にチューリップの髪飾りを買ってきてくれたんだよねー」と。
私 「あれ?チューリップだっけ?」
夢子「チューリップだよ。赤いチューリップ」
私 「大事にしてるの?」
夢子「絶対捨てない!宝物だから」
「絶対捨てない。宝物だから」
夢子はずーっと、この台詞を言い続けて、ここまで生きてきた。
あのチューリップの髪飾りは、きっとこれからも彼女が死ぬまで宝物なんだと思う。
青君と夢ちゃんは、勿論、ここまで喧嘩もしてきた。
これからも喧嘩するかもしれない。
でも今後、二人が何かで喧嘩して、夢子が「青君のやろー!」と思う時があったとしても(笑)、
ふと部屋を片付けていた時、
あのチューリップの髪飾りを見つけて
「ハッ!」と思ってくれるかもねーと思う。
それは逆もしかり。
青君が夢子から貰って、すごく大事にしている物がある。
今後、青君が「夢子のやろー!」と思う事があっても(笑)、
夢子からもらった物を見て「ハッ!」と思うかもねー。
二人にとって、プレゼントその物も宝物だけど、
「プレゼントをあげたい」という優しい気持ちを貰った【思い出】も二人の宝物なのかもしれない。
Thanks☆
<私のバックがポン!ちょっと~!> 青君、夢子、幼稚園くらい
我が家がよく行く大型ショッピングセンターに、でっかいフードコートがあった。
いつもワイワイガヤガヤ、にぎわっている。
注文して席に戻り、呼び出しベルがブルブルしたら取りに行く。
ある日、いつものように注文してお呼びを待ってたら、ブルブル。
「今日はトレーが2個になるはず」と思った私は、自分のバックを持って取りに行くと、ちょっと危ないし、大変だな!と思った。
私 「青君、食べ物を受け取りに行ってくるから、ママのバックを持っててくれない?お財布が入ってるから、ちゃんと持っててね」
青君「わかった!青君、ちゃんと持ってる!大丈夫!」と頼もしい決意表明。
そして、私が食べ物が乗ってるトレーを2つ、ソロリ、ソロリと持って席に戻ったら、
青君が私のバックを大事そうにギュッと抱きかかえて、
「誰にも取られないぞ!」とまわりをキョロキョロして、
不審者がバックを取りに来ないように見張っていた。
私は内心「いやいや、そこまでしなくても~。可愛いなぁ」とクスっと笑う。
「あ~、でも、子供でも意外と盗まれるということに結構な危機感あるんだなー」と感心した。
この日、青君で成功例を体験し、「子供ってバックくらい頼んでも結構大丈夫なんだー」と妙に信用をした。
その数か月後くらいに、また同じショッピングセンターで、またまた同じ状況になり、呼び出しベルがブルブル言って、トレーは今回も2つになるはずだから、私のバックを子供に託して食事を取りに行くことに。
今度は夢子。
私 「夢ちゃん、ママ、ご飯取りに行ってくるからさ、ママのバックを持っててくれない?お財布が入ってるから、ちゃんと持っててね」
夢子「うん、いいよ~!」
そして、2つのトレーを持って席に戻ったら、
キープしていたテーブルのド真ん中に
私のバックだけが ポン!!と置いてあった。
そのテーブルに人はいない。私のバックだけ。
え?!
真っ青!
夢子はどこ?
ちょっと~!おい!
キョロキョロあたりを見回したら、夢子発見!
夢子は30~40くらい?並んでいるガチャポンをしげしげと見て、
実に楽しんでいた。
私 「夢ちゃん!」
夢子「あ~、ママ~!」
私 「ちょっと~!」
夢子「ごめんなさい・・・」 しゅん。
青君はバックを抱きしめて周りをキョロキョロと慎重派。
夢子はバックそっちのけでガチャポンに夢中。
なんて対照的な二人。
そう言えば、子供の性格はみんな一人一人違うんだよなー。
一人の子供で成功したからと言って、子供全部が同じに成功するわけじゃない。
その子、その子の性格に合わせて、親が言葉を選んだり、行動しないとダメなんだなー。
遠い昔に、そう痛感する私であった。
が、親として最後までそんな器用ではなかった気がする。
器が小さい親なんで。
そのせいで、子供を傷つける事も言ったと思うし、迷惑もかけたと思う。
今は、時々思い出して「あの時はごめんね」と思う。
こうして子供が小さかった頃を思い出すと、
青君は男の子特有の好奇心からのハプニングが多く、
自由人・夢子には、散々ビックリしたり驚かせられた分、笑えるエピソードが多い。
ま、バックを盗まれてたらシャレにならないけどね。
良かった、良かった。
Thanks☆
<夢子の楽しい迷子> 夢子2~3才位
青君は迷子になったことがない。
子供って、こんなもんかな?と思っていたら、
夢ちゃんときたら何度も迷子になり、真っ青になったこと、数知れず。
ある日、二人を連れて大型ショッピングセンターの食品売り場に行った。
食品売り場に行くと、私は料理のメニューを考えて、必要な材料を考えて、じゃ、どれを買おうかな?値段とお財布の相談をして・・・と、
メッチャ頭を使う。
・・・と頭を働かせている間に、夢子がいない。
あれ?あれ?どこ行った?
私「青君、夢子は?」
青君「分かんない」
今日着てきた服の色と形で夢子を探す。いない。
そのうち全館アナウンスで「迷子のお子様をお預かりしています。
白いTシャツにピンクのスカート、3才位の女の子・・・」
私「うちだ!」
きっと、ママと離れてしまってオイオイ泣いてる。早く行かないと。
青君と走って案内所に行き、預かり場所を聞いて夢子を迎えに行く。
預かり所のドアを開けたら、夢子がお店のお姉さんと手遊びかなんかして遊んでいた。
ニコニコしてる横顔が見えた。
泣いてなかった。笑ってた。良かった。・・・と思ったら、
夢子が私の顔を見た途端、「あ・・・ママ・・・」と
すごーく イヤ~な顔 をした。
「わたし今、お姉ちゃんと楽しく遊んでたのに、ママが来ちゃったー。
せっかく楽しかったのに。ガッカリ!」そんな夢子の心の声。
マジか。私、嫌われた(笑)
私はお姉さんに「すみませんでした。ありがとうございました」と言って、夢子に「さあ、帰ろう」と手を出した。
夢子はシブシブ椅子からおりて、
何度もうしろを振り返り、
夢子「お姉ちゃん、またね、またね、またねー」と笑顔。
お姉さんも「うん、夢子ちゃん、またね」
夢子「お姉ちゃん、またねー、またねー」
「バイバイじゃなくて、またねー!かよ。ハイハイ、お姉ちゃんとの別れがそんなに名残惜しいのね。わかった、わかった。ママが迎えに来たのは迷惑だったわけだ。お前はもっとユックリ迎えに来てもらった方が良かったんだな?!ハイハイ。急いで迎えに来て悪かったな!」と心の中の私。
普通さ、迷子になった子供って「ママー、ママー」って泣いてるけど、ママが迎えに来ると、手を出してダッコをせがんで、しがみついて、ヒックヒック言いながら泣き止むもんじゃない?
私は手を繋いで食品売り場に戻ったけど、さすがに発する言葉がなかった。
黙って歩いた。
反対に夢子は「楽しかった~」みたいにキャピキャピしてた。
あの時は、私も大人げなく「母親に対して、あのイヤ~な顔はないよね」と、ちょっと怒っちゃった。
自由人・夢子が迷子慣れすると、こうなる。
まあ、子供だから楽しい方に流れるし、
楽しかったら、ずっと楽しいことをしていたいし、
まあ、そうなるよね。
以上、夢子の楽しい迷子。
今は笑い話でしかない。
あの時は笑えなかったけど。
でも、こういうトンデモおもしろエピソードは、
「興味津々探検隊の隊員・夢子」の方が圧倒的に多い。
やっぱ子供の性格かな。
ただ、世のママは、事件、事故だけには気をつけて。
子供を力の限り守ってあげて欲しいと切に願う。
Thanks☆
< 補助輪付き自転車の卒業という関所> 青君 小1~小3かな
「他の子と比べちゃだめよ」
コレ、よく耳にする言葉。
でも、
〇ケ月になったら、寝返り。
〇ケ月になったらハイハイ。
1才になったら歩く。
身長は1才で80cm前後とかさ、
そういう「めやす」が至る所に書いてあるじゃん。
お母さんには、世間一般の人に「普通」と定義づけられた通らなければならない関所がいっぱいある。
そして、その関所の一つ。
「補助輪付き自転車からの卒業」という関所。
うちの子供のまわりで、一人、二人と、補助輪取れた子が増えていく。
青君はおっとりした性格なので、それを見ても何とも思ってない。超マイペース。
でも、母親の私の胸中は複雑だったりする。
「うちも練習しないとダメかなー」
ある日、「やってみるか!」と後ろの荷台?を持ってあげて何度か練習したけど、
アレって、押さえてあげる人の方が難しい!
第一「青君本人があまりやる気がない」という事に気づいたので、
ハイ、やめた(笑)
別に、自転車乗れなくても生きていけるし(再び笑い)
争うのが苦手で、おっとりさんの青君は小学校2年生まで補助付きに悠々と、実に楽しそうに乗っていた。
それを見ると、私は内心「あー」とは思うけど、もう、いいや。
どうにでもなれ。
近所のママ達は「青君、補助付きに乗ってるの、可愛いね」って。
私「アハハー!」
・・・笑いっていいよね。笑い飛ばせば、何でも乗り越えられる。
そうじゃない時もあったけど(汗)
小3になった時、身体が大きくなり、いよいよ補助付きに乗れなくなった。
私 「もっと大きい自転車買う?」
青君 「新しい自転車欲しい!買う!」
私 「でも、まだ補助取れてないからなー。どうする?」
青君「頑張る!」
・・・というわけで、新しい自転車をゲットした青君。
青君「今度の日曜に練習したい!」
珍しくポジティブ!
車に自転車を積んで、大きな公園へGO!
今日は、後ろを持ってあげたりしない。
自分で「頑張る!」って言ったんだから。
アドバイスもなし。見てるだけ~。
青君は、見たこともない面白いやり方で乗る練習始めた(残念ながら、文字で説明するのが難しく、ここで説明できない)。
ものの2~3分で乗れるようになり、本人、得意顔。
「やったね~!すごいじゃん!」
補助付きからの卒業が小学校3年とは、遅すぎるかもしれない。
でも、青君が成長した今、
「お前、補助取れたの、小3だったよな」なんて言う人はいないし、
補助輪取れたのが遅くて、生きる上で困ったことは何もなかった(笑)
子供も人それぞれ、性格も違うし、個性も違うよなー。
友達が補助輪取れたのを見て、羨ましくて頑張る子もいれば、
青君のように羨ましいとも思わず、ヒョウヒョウとしている子もいる。
正解はわからないけど、おっとり青君には、これで良かったのかなー?と、なんとか一件落着。
関所を通ることができました。
注)しかし数年後、青君は別の種類のことでは、結構な負けず嫌いであることを知ることになる私でした(笑)
Thanks☆
<私はジャマされるのが嫌いな人だった>
私は何かをやり始めたら、終わるまで集中してやりたいタイプ。
何かのジャマが入って、途中でやめる事になると、
「あーあ」と思うタイプだった。
そんな私に子供が登場し、まあ、何も集中してできなくなった。
ジャマされる度に「あーあ・・・」とため息が出て、
イライラして、「もう!」って。
長い間、自分の思い通りにできない事に悩まされていたけど、
子育てって、自分が諦めても諦めてもキリがない。
次から次へと子供の色んな事が自分に降りかかってきて、
私の自由は奪われ続ける(笑)
この解決策を考えに考えた結果、
途中から「もう、いいや!」と全部あきらめる決断をした。
「子供にとってお母さんは、いつも太陽でいないと、子供がいつも元気にいられない」みたいなことを何かで知り、
私がいつも元気で明るく太陽みたいなお母さんでいる為にはどうしたらいいんだ?と試行錯誤した結果がコレ。
夢ちゃん「ママ~!〇〇〇」
私 「はい、なーに?ハイハイ」
青君 「ママ~!〇〇〇」
私 「はい、わかったー、今行くから」
自分の事は綺麗サッパリ諦めて、子供に何かあれば、全て子供ファースト。
実は、そんなに簡単に子供ファーストになれたわけじゃないけど(汗)、
たくさん考えて、自分が出した結論。
そうと決めてしまえば、少しだけ心は軽くなった。
子育ては重労働だ。
体力も精神力も頭も使う重労働。
でも、子育ての大変な時期はいつかは終わる。
有限だ。
今、夜泣きが大変でも、いつか終わるし、
今、ダッコ、ダッコ言われて大変でも、ダッコと言わなくなる時が来る。
今、トイレトレーニングがうまくいってなくても、いつか一人でトイレに行くようになる。
今、幼稚園の送り迎えが大変でも、小学校に行ったら一人で行く。
今、部活が大変でも、部活を一生するわけじゃない。
子育ての何もかもが有限。
必ず終わりがある。
だったら、今、子供の為に頑張ろう!って。
この考え方が正しいかどうかは分からないけど、
この考え方が私の心を軽くした。それは事実。
でもこれは、あくまでも専業主婦だったからできた決断。
のちに私も働く時期が来るが、
子供ファーストではいられなくなり、
子育ても仕事も中途半端な日々に、
また新たな悩みが出てくるのである。
ママは本当に大変なのだ(笑)
ただ、年々多くなって来ているパパ達の子育てでの活躍。
パパが保育園の送り迎えをしている姿、
パパと子供でどこかに遊びに来ている姿、
子供と自転車でお出かけしてる姿なんかを見たり、
インスタで「今日は娘とデートだったから楽しい休日だった~!」なーんて書かれた日には、
私まで嬉しくなってホッコリする。
「パパ、グッジョブ!ママは助かってるよ!」と思って見てる。
ホント、パパも頑張ってるね!って思うことが多くなったから、
良かった~。
最後に・・・、
でも、ごめん、私はいつも太陽のようなママではなかった。
曇った日もあったし、
雨の日、
台風の日もあったママだった(笑)
ごめんなさい。
Thanks☆
<お菓子一丁!> 夢ちゃん2~3才位
一つ、二つ、三つ・・・。
子供がよく使う単位の数え方って、普通「一つ、二つ、三つ」だと思う。
なのに、うちの夢ちゃんがある時期、よく使った単位は「一本、二本、三本」だった。どこで覚えたのやら。
「ママ、りんごジューチュ、一本ある?」・・・まあ、これは良しとしても。
「お菓子、一本ある?」・・・これには驚いた。
「うどん、一本ちょうだい」・・・うどん一食分、食べたいという意味。コレ、一番笑ったヤツ。
・・・と、こんな感じ。
この「一本」を聞く度に、思わずプッ!と笑ってしまって面白いので、わざと直さないで、そのままにした。
そのうち「一本」のブームが去り、進化して「一丁」になった。
私 「夢ちゃん、お昼ご飯、何食べよっか?」
夢ちゃん、右手を元気にあげて、「うどん一丁!」
私「いっちょう?」
ここでメッチャ笑った私。
夢ちゃん 「おかしいの?」
私 「ううん、おかしくないよ~」
うーん、間違ってはいないような、間違ってるような。
お店では言うよね。「うどん一丁、毎度ありー!」みたいに。
どこかのお店で覚えてきたのかな。
その後も、夢ちゃんの「一丁ブーム」は続き、
「ママ、お菓子一丁ある?」
「牛乳一丁、飲みたいんだけど」
「ご飯、もう一丁!」
私は「一丁」を聞く度に笑っちゃって、ホッコリする。
だから、またまた、あえてコレを直さない母でした。
しかし、「一本」「一丁」と言っていたのはわずかな期間であって、
私以外の家族に注意されたり、
近所の子供と遊んだり、
公園に行ったり、
子供なりの社会生活が進むにしたがって、
夢ちゃんは「普通」という名の単位を覚えていき、
私のホッコリタイムはなくなっていったのである。
ちょっと寂しいけど、ま、いっか。
Thanks☆
<体温計が> 青君(あおくん)2~3才位
ある朝、青君の身体が熱い事に気づきました。
「熱がある!」
体温計を探します。
ありました!
体温計の本体だけ。
あれ?体温計のケースはどこ?
その時のうちの体温計は、ケースに入れると前に測った体温の表示がリセットになって、次回に測れるようになるというヤツ。
ケースがないとリセットできないので体温は測れません。
ケースは非常に重要なんです。
どうしてケースから体温計が出ちゃったの?
誰?
いや、犯人を考えるより先に体温計を探すのだ。
我が家、体温計は一個しかありません。
必死で家中さがします。
ありません。
「買いに行こうか?いや、熱のある子を連れて買いに行けない。でも、家に子供一人置いて行く年令じゃない。しかも具合が悪いし。うわ、どうしよ」
青君を抱っこしながら必死にその後の対処を考えます。
この頃の私は、子供が熱を出すとすぐに「死ぬんじゃないか」と最悪を考えてしまう新米ママでした。
「子供はすぐに熱を出すからね~」と余裕があるママだと良かったのに。
そんなこんなの、その数か月後、テレビの後ろのほそーい隙間に、ケースを発見!
あー、こんな所に!
見つかるわけないや。
思わず笑っちゃいました。
犯人は現行犯じゃないから、今も分かりません。
誰だろうね(笑)
何か月も前の事なんて覚えちゃいません。
叱っても意味がありません。
後日、体温計本体だけでクリアにできるのを買いました。
体温計が二本に増えた。ちょっと安心。
でも、体温計はボタン電池が入ってるのが多いと思うし、子供の手の届く所に置いていたことが、実は一番危険だったと後で気が付きました。
これからは、体温計を高い所に置こーーっと。
Thanks☆
<過ぎてみれば>
私の子育て。終わりました。多分。
大変な事や苦しくて逃げ出したい時もあった。私って、幼い頃からひそかに隠し持ってる「精神的逃避癖」があり、嫌な事があるとすぐに「死にたい」「消えてなくなりたい」「透明人間になりたい」と思ってしまう【弱っちいヤツ】。
でも、ここまで頑張って生きて来れたのは、まぎれもなく子供がいたから。
「この子達が大人になるまでは、何が何でも死なない」と一日一日、ヒーフーハーフー言いながら生きてきた。
そんな私が、子供に大笑いさせてもらったり、ある時パッ!と幸せなる言葉をもらったり、子供ならではの「まっすぐな愛情」を見せてもらった事も数知れず。子供に助けられながら生きてきたんだよなー。
弱っちい私も、子供を育てた事で、新しい世界を見せてもらい、人間として少し強くなった気がするから、子供達に感謝の意を込めてこのブログを書こうと思う。
「私なんかの所に生まれて来てくれて、ありがとう!」とね。
大変だった事も、時が過ぎれば笑える思い出の方が多い。
よく「時が解決する」って言うけど、時間ってすごいね。
そんな「今では笑えるエピソード」を書きたくなった。
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◆子育ての面白かったこと、大変だったことを書いています。
◆ほぼ専業主婦でしたが、働いていた時期もありました。
が、ある日、気が付いたら「電池の切れたロボット」に変身していました(笑)
◆子供のニックネーム。
*長男 青君(あおくん) or 青(あお)
*長女 夢ちゃん or 夢子(ゆめこ)
◆巷ではSNSなどによる子供側から親側へ「子供の権利」の論議があるようです。なので、子供達の権利を守り、一部ぼかしています。